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御茶ノ水散歩 5 すずらん通り

神田神保町の「すずらん通り」です。

ここは出版社、書店、古書店が集中している本の聖地です


すずらん通り側から見た「三省堂書店」です。
まだ開店前なのでお客様が並んで待っています。

「三省堂」は明治14(1881)年に亀井忠一氏がこの地に売場面積3坪の古書の販売業として創業しました。

その前は四谷で下駄屋だったが、神田美土代町で書店を開業していた兄などの影響で書店業に転じた。

当時すずらん通りは神保町通りと呼ばれ、南側を表神保町、北側を裏神保町と呼びました(「三省堂」の地番は裏神保町1番地)。

亀井忠一はその後、学者、学生向けの出版と新刊本の販売に進出する。
更にその後、明治41(1908)年に刊行を始めた『日本百科大辞典(全10巻)』の編纂事業の出費で倒産の憂き目に合います。

再建するにあたって出版・印刷部門を創業者家から離し、現在の「三省堂書店」と辞書・教科書出版社の「三省堂」に分離されます。


中国書籍の「内山書店」です。

初めはキリスト教関係の書籍のみを扱い、妻の美喜子が一人で店を管理していたが次第に営業を拡大した。


内山書店は、大学目薬の営業員だった内山完造が大正6(1917)年に開いた書店。
創業者の内山完造の妻である美喜さんが北四川路魏盛里の自宅玄関先で本を売り始めたのが最初。

その後、大正13(1924)年に向かいの空き家を買い取って本格的な書店となり、在上海日中文化人のサロンとなる。

内山完造は上海で危機の迫った魯迅を庇護したり、著作の代理発売元になったりと深く関わっている(1933年4月、魯迅は内山書店店員の名義でラモスアパートから大陸新邨転居してここで生涯最後の3年間を過ごす)。

日本へ進出したのは、内山完造の弟である嘉吉で、昭和10(1935)年に世田谷の祖師ヶ谷大蔵に、中国専門書店である東京内山書店を開店した。

その2年後に神田一橋に移転。現在のすずらん通りの店舗は、昭和43(1968)年に移転し、昭和60(1985)年に改築されたもの。



「東方書店」です。

東方書店は昭和26(1951)年、日中出版文化の交流を目的として創業されました。

中国・香港・台湾などの書籍および雑誌の輸入と販売、自然科学書を中心とした数多くの日本の書籍および2300種以上の雑誌の輸出、中国をテーマとする図書の出版を主な事業としています。


古書店を外す訳にはいきません

昭和14(1939)年創業の老舗、総合古書店の「小宮山書店」です。

4階まで6フロアー有り、神保町では最も早くエレベーターを設置しました。

東京に居た頃とてもお世話になった方が、この店に勤めていました

まだ続きます

写真:10月4日



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コメント 4

われもこう

あーー!<BR>懐かしい限りです。東京にいながら、滅多に行かない街となりました。<BR>学生時代はほぼ毎日・・・だったのに^^
by われもこう (2007-10-10 20:44) 

nmzk

&gt;われもこう さん<BR>わーっ、近くの学校だったのですか!!<BR>nmzkも今回歩いて学生時代を想い出しました♪
by nmzk (2007-10-10 23:29) 

Django

暇な時、この辺で1日つぶせますね。<BR>見る、歩く、食う、飲む、読む・・・。<BR>いろいろな楽しみ方ができる町!
by Django (2007-10-14 17:34) 

nmzk

&gt;Django さん<BR>はい、この日は12:00pm近くまで遊びました♪<BR>大好きな町です\(^-^)/
by nmzk (2007-10-14 23:06) 

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