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東京レポート 5 浜離宮 3

ここには築山(つきやま)がいくつか有ります(潮入りの回遊式築山泉水庭)



先ずは富士見山。

nmzkが子供の頃は東京のあちこちで富士山が見えましたが、今ではこのお山からでも見えないでしょうね


中島の御茶屋と潮入りの池が見渡せます


御亭山(おちんやま)




樋の口山


新樋の口山

nmzkの上越の故郷の庭にも池と築山が有りまして、とても気に入っておりました(勿論こことは規模が違います)

9月10日撮影

まだ続きます



東京レポート 4 浜離宮 2

ボラでしょうか、池のあちこちでピョンピョンジャンプしています。


カワウさんでしょうか?


カモメさんです


ひゅー


すーい、すい

カモさんかな

9月10日撮影



東京レポート 3 浜離宮 1

「浜離宮恩賜庭園」に入ります

「中の御門橋」から入りました。
案内所で荷物を預かって頂きました




まだ開いたばかりなので人は少ないです(外国の女性が一人)。




「小の字島(このじしま)」

この島を中心として左右に橋で結ばれた2つの飛島の形が、漢字の「小」の字に似ているところからこの名称が付けられました。


お伝い橋(おつたいばし)
宝永4(1707)年、後の6代将軍徳川家宣がこの庭園の大改修をした時に初めてこの橋を架けた。

十一代将軍の時代には、橋全体が藤の回路になっていたといいます。

平成9年5月に竣工した現在の橋は橋長117.8mで、高知県産の総桧造り。

潮入りの池
海水を取り入れて潮の干満により水位を上下させ、庭園の趣に変化を生じるように作られています。

この庭園は約28.000㎡(8.500坪)の大泉水を中心として作られており、ボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギ、カニなどが生息しています。



中島の御茶屋
御茶屋とは江戸時代、大名庭園等に設けられた園遊接待の施設。

宝永4(1707)年、後の6代将軍徳川家宣が建てる(別名「狎鴎亭(こうおうてい)」)。

享保9年(1724)火災のため焼失し、64年後の天明8(1788)年11代将軍家斉の治世に再建。

明治維新後皇室の離宮となり、昭和19年(1944)11月29日第2次大戦の空襲により焼失。

昭和58年(1983)財団法人日本宝くじ協会の助成事業として再建。
木造平屋建入母屋造り一部寄棟鋼鈑葺 161.6㎡ 露台78.3㎡

9月10日撮影





お友だち

ハピーです

今朝は雨になりましたが、連休は蒸し暑かったですね。

お友達のサクラちゃんがまた遊びに来たので、皆で外を走り回って遊びました


ビクターとサクラちゃんは、もう泥んこで大変でした。

ビクター:楽しいよワン


サクラちゃんです。

シェルティーでハッピーと同じ3歳の女の子です

サクラちゃん:普段はおしとやかなのですが、ビクターがいたずらなのでつい私も泥だらけ


ハッピーはそんなはしたないことはしないので汚れませんでした


夜はビクターも疲れて、バタン・キューでしたよ。




好い天気

“涼しく、さわやか”とまではいきませんが、久し振りに晴れ渡った空です

今日はゆっくり起きて、それから洗濯、お掃除


おはよう

昨晩は夜更かしをしたみたいだから昼寝もして下さい


おはよう

東京レポートもまだ途中だよ

はーい


木槿(むくげ)でーす


ランタナでーす

もうちょっと待ってね



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