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9/20 ハッピー日記 2

壊し屋ビクターは毎日何かを破壊し続けています。

夏も終わりとばかりに、うちわをボロボロにしてくれました。


お母さんのスリッパを破壊しました。

わざわざ茶の間まで運んでは、かじっているようです。

見て見て

バカバカ


ビクター:もっと遊びたいよ


ビクター:怒られた


朝晩はずいぶんと涼しくなりましたね。

私達は暑いのが苦手なので助かります。

ではお元気で ハッピー



9/20 ハッピー日記 1 震災から2ヶ月が過ぎました

ハッピーです

震災から2ヶ月が過ぎ、柏崎の街も変わりました。


瓦礫の山も取り除かれ、街には空き地が増えました。


仮設住宅があちこちに建ち、入居も完了しました


道路は、いたるところでまだ工事をしています。


街中はずいぶんと変わりましたが、まだまだ手付かずの家や道路もたくさんあります。



東京レポート 10 旧芝離宮

「浜離宮」を後にしてから仕事を終え、浜松町駅の方向へ向かいます

東京タワーが見えます


途中に旧芝離宮恩賜庭園が有りましたので入りました

大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京都に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開されました。

回遊式泉水庭園で作庭当時は海岸に面しており、浜離宮恩賜庭園同様汐入の庭でした。


が強くなって来ました


「中島」

この島の石組みは蓬莱山を表しているそうです。


仲が好いですね

長らくお付き合い有り難うございました

これで東京レポートは終りです。

9月10日 撮影



東京レポート 9 浜離宮 7

「庚申堂鴨場」です。

この庭園には庚申堂と新銭座の2つの「鴨場」が有ります。


鴨場は古くから大名の別荘地等に設けられた鴨の遊猟施設で、これは1778年に造成された。

「溜(ため)」という池と平坦な小島、池の周囲を土手で囲み笹や常緑樹等を密植して外部と遮断し、鴨が休息できる場所にします。

池岸には池全体を観察する「大覗(おおのぞき)」と池から続く「引堀(ひきぼり)」が有り、その両側の小土手と末端には「小覗(このぞき)」が設けてあります。

池ではおとりのアヒルを飼育していて、「小覗」から鴨の様子をうかがいながら板木の音と餌(稗・粟など)でおとりのアヒルで引掘におびきよせ、入ったところで入り口を閉め、驚いて飛び立とうとする鴨を引堀の両側で待機している取手が又手網ですくいとるという猟を行っていました。


「新銭座鴨場」です。


こちらは1791年に造成されました。



東京レポート 8 浜離宮 6

花木園です


さるすべりですね


木槿(むくげ)です


にぬれたよ


「芳梅亭(ほうばいてい)」

9月10日 撮影



東京レポート 7 浜離宮 5

お花畑通って大手門橋の方向へ向かいます





「三百年の松」 およそ300年前の宝永6(1709)年、徳川家宣がこの庭園を大改修した時に植えられたと云われています。

都内では最大級の黒松。





左横からパチリ



右斜めから。


元の所が見えません

9月10日 撮影



東京レポート 6 浜離宮 4

ちょっと高い所が有るとすぐ上がってみたくなります新樋の口山


カモメ:もっと高いよ


旧稲生(いなぶ)神社:“いのうじんじゃ”とも。

鳥居は天明(1781-89) の頃に建立されたらしい。


庭園内に古くから在ったようですが、神社の創建時期は不明。

江戸時代後期の絵図にはこの場所より西方に書かれているそうです。

明治27(1894)年6月20日に地震(震源地は東京湾)で倒壊、翌年再建。

大正12(1923)年9月1日に関東大震災で大きく破損(倒壊は免れる)、昭和6(1931)年に大修理。

平成17(2005)年に東京都が文化財として大掛かりな修理を行う。

9月10日 撮影



マクロでおはようございます

最近使っていなかったマクロレンズでパチリ

おはようございます


ランタナが沢山花を咲かせました


まだ途中だよ


もう少しですね


木槿(むくげ)でーす



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