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御茶ノ水散歩 1 あまり知られていない名所

8:30amに東京駅に着きました。
仕事はお昼からなので、午前中は御茶ノ水を散歩します

今回は御茶ノ水のあまり知られていない名所(?)をご紹介します

正面の橋はご存知「聖橋」ですが、今カメラを構えている水道橋寄りの橋の名前は意外と知られていません。


平凡ですが「御茶ノ水橋」と言います。

東京府技師・原竜太の設計による上路形式のトラス橋(錬鉄製プラットトラス形式)で明治23年に架けられました。


御茶ノ水の名前の由来です。

慶長(1596-1615)の頃、この辺り神田山の麓に高林寺という禅寺が有り、寺の庭から良い水が湧き出ました。

ある時将軍秀忠公に差し上げたところお茶に用いられて『とても良い水だ』と褒められてそれから毎日献上するようになった。

いつしかこの寺は「御茶ノ水高林寺」と呼ばれ、この辺りを御茶ノ水と言うようになりました。




この碑は水道橋寄りの駅の向かいの交番の隣に有ります。


高台である「駿河台」は元来、本郷・湯島と地続きでその南端に位置し「神田山」と呼ばれていました。

徳川家康は新たな町造りのためこの神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てましたが、それによって平川(神田川の元になった川)の流れが滞り、下流で洪水が頻発した。

そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで分流としての水路を確保、併せて江戸城の外堀の役目を果たす「神田川」が開削されました。

家康が駿府で没した後、家康付を解かれ、駿河から帰って来た旗本(駿河衆)たちが江戸城に近く、富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えたことからこの地を「駿河台」呼ぶようになりました。

この杏雲堂病院の場所はかって大久保彦左衛門の屋敷でした。

まだまだ続きます

撮影10月4日



ぐっすり眠りました

おはよう

おはよう


東京は楽しかったようですね

うん、楽しかったよ


ちょっと疲れが残っているみたい


歳なんだから気を付けて下さい


シャワーを浴びてすっきりします





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